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2016-10-01

家康の真の勝因は!? ~後編~

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ズバリ、家康の真の勝因は、健康です!

強大な権力を持つに至った秀吉に対し、家康は六つ若いという、天の采配がありました。若い時は、乗馬や剣の素振りに精をだしましたが、晩年は鷹狩りに熱心でした。勿論それだけではなく、竹踏みと、薬草を自ら煎じ、家来にも分け与えていました。食事も普段から粗食をモットーにしていましたから、薬草といっても、今でいうサプリメントの役割りだったと思います。

精をだすには、鹿の角なども煎じていたようです。古くさいなぁ、なんて馬鹿にするなかれ。現在アメリカで、成長ホルモンを促すサプリには、鹿の角の成分入りというのが、必ずあります。
一体家康は、何年前に取り組んでいたことになるのでしょうか?

家康は、当時としては長命でした。気の長い性格が一因しているという人がよくいますが、それはウソです!家康は爪をかむ癖があり、70歳過ぎて臨んだ関ヶ原の戦いでも、噛みまくっていたと言われています。爪を噛む癖がある人は、総じて短気でセッカチです。

かつて信玄と三方ヶ原で戦ったとき、馬上でクソを漏らすほど、打ちのめされました。敗因は、事を急いだ短慮からだと認識し、絵師に自分のみじめな姿を描かせました。天狗になった時、自らを戒める為です。かの有名なシカミ像ですね。
信長・秀吉に比べ、地味なイメージが強い家康ですが、偉いのは常に分析し、戦も性格も健康も謙虚に研究し続けた点だと思います。野戦が得意と言われていますが、当然です!

家康は、信長と共に打ち破った、武田勢の残党を大事に扱いました。感謝した残党たちは、企業秘密であった人の使い方を教えたり、得意の騎馬戦術(野戦)で活躍し、家康に恩返しをしたのです。騎馬戦術では、戦国最強と言われたツワモノたちを味方にしてのですから、そりゃあ、強くて当然です。秀吉が天下を取る前、小牧・長久手で交えた一戦で、家康は数で劣っていたにも関わらず、秀吉軍を一蹴します。

これら、戦術・人脈作りに精を出す一方、行動の源である健康作りをしっかりとやっていたのです。
秀吉は天下人になったものの、晩年は寝小便を垂れるほどに体力は低下していました。家康が秀吉と同い歳になった頃、顔ツヤは良く、側室を侍らせて、元気ビンビンでした。ルイス・フロイスは家康を「律儀な盗人」と評しました。

健康パワーを元に、フロイスが言ったように、牙を隠して天下を分捕ったのです。

もっと秀吉が健康で、長く後見として、秀頼を盛り立てたなら、歴史は大きく変わったことでしょう。

追求すれば、権謀術でも何でもない、健康で元気な人間が勝つのです!

をはり

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