共○通信社 合同慰霊祭に参加
先月、亡父の在籍していた、共○通信社の合同慰霊祭にお招きいただいたので、参加しました。
この1年間に亡くなった現役・OB含んだ元社員に感謝する慰霊祭とのこと。約60名ほどの慰霊でした。家族複数同伴も許可されていました。会社からと社長自らの香典をいただいた上のことなので、出席させていただきました。
平日、11時からの開始は、店の営業時間にくい込むので、正直きつかったのですが、ご厚情への感謝と、近代的なビルに移転した姿を見ておきたいと思い、足を運びました。私が子供の時は、国会議事堂前駅近くにある、レンガ造りの建物が共○通信社でした。それから、ジェトロと共にアメリカ大使館近くに移転し、現在の汐留に落ち着きました。
亡父は、私を勤め人にしたかったようですが、私は全く興味がなかったので、現在も自営業を営んでいます。マスコミ最大手で、唯一北朝鮮にも支局があると、我が事のような自慢話しを、よく聞かされました。
私としては、亡父は素晴らしい反面教師でしたので、外で聞かされる印象は不思議なものでした。
入社して暫く編集庶務に在籍し、その後、労働者側から会社側に奇跡的に昇ることができ、最後は社長秘書になれたのは、会社員としては、まぁ満足のいく経緯だと思うのですが、本人の口からは、愚痴と文句しか聞いたことがありません。今はどうか知りませんが、以前共○通信社では、労働者側と会社側というカースト制度がありました。当然、会社側になれば給料も待遇も、
退職金も額が変わります。亡父がなぜ選ばれたのか、今でもわかりませんが・・。
もしかしてと、私の古い記憶を遡れば、浅間山連合赤軍の立てこもり事件の時、パソコンの無い時代ゆえ、山道がアイスバーンになって各マスコミが本社に速報を送れなかったときバイクで下山し、他社を出し抜いて最新ニュースを送信できたこと?
大平首相が入院中、病院の様子がおかしいと、記者に速攻伝え、その記者が他社を出し抜いて、死亡記事を掲載したことにより、編集局長賞を取らせたこと?(何でも、逆に遅れたりしたら、責任を取って、クビになる世界だとか?!)何が認められたのかわかりませんが、待遇が良くなる兆しは、同僚の態度が物語っていました。「死ぬ時は一緒だ!」と仲の良かった連中が、ランクアップした途端、賛辞してくれるどころか、無視・口もきかないという女子中学生のような真似を、ええ歳したおっさん達がしたそうです。亡父が在職中、会社側になって初めての給料日、なんだか知らないけど、10万円も多く振り込まれていたと言っとりましたが、成る程、こりゃ妬みもでますな!何にしても、酒飲み仲間ほど、アテにならないものは、ありません!親友のように思えるのは、単なる情念の錯覚です。当時、社の電話交換手の女性たちのボーナスは50万円は貰えたそうで、誰も辞めなかったそうです。巷の求人で、「明るい職場です!野球部有り!」なんて書きながら、年中募集している所は怪しいですね!
実は、亡父はある空手道場の壮年部に、毎日曜日、指導者として無料奉仕していたのですが、旧年の年賀状に師範を尊敬しております!感謝しております!一生忘れません!など多数あったので、訃報を送ったのですが、連絡が来たのは女子部のお一人だけ。師範代の方は、館長の香典片手に、わざわざ私の店に来訪して頂き、誠意ある対応を見せてもらえましたが・・。
反面、共○通信社では、社長の代わりに誰か中堅の方が対応するのかと思っていたのですが、当日、現社長を筆頭に、専務、常務など雲の上の方々が、会場入り口に直立して待っていてくださりました。社長自ら、「先達の方々の尽力で、我が社は発展できたのだす!」と奏上を読み上げ、一輪ずつ献花までご用意して頂けたのには、頭が下がりました。帰りに、各人に手提げ袋を渡されたましたが、社の宣伝パンフレットだろうと思いきや、何と!商品券が10枚も添えてありました!
本来、企業とは営利追求が目的で、武道などの道場は、人の道完成などと言われます。ところが、今回私が体験したのは、人の道を説く道場では、用が無くなりゃ、ソッポを向き、営利追求の会社では、感謝を忘れず、礼を尽くす!恐らく、この会社はより発展していくでしよう。道場の方は、もう・・。
仕事でもプライベートでも、上べの笑顔や甘言に騙されることなく、尊敬しあえる人たちと、過ごしていける人生を歩みたい!
そう固く心に誓いながら、二度と訪れることのないビルを背にして、私は汐留を去りました。
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