ある力士の引退
今年3月、ある力士が引退しました。ひっそりと・・・。
最後のランクは、幕下でした。
仮にAさんと呼びます。
今期待されている、ある若手力士の大学での先輩にあたります。
若手力士は、当初快進撃の成績を残して注目を集めましたが、当時Aさんはそれ以上の、全勝の成績を上げたのです!
誰しも、最短で十両だ!ともてはやしました。
ところが、協会本部は認めませんでした。理由は、甘い!と。いきなり苦労もしないで出世はさせないと言い切られました。
協会は、中卒の方が多いようです。「お前らが大学で遊んでいる時から、こちらは土俵で命張ってるんだ!」と言われる方もいるそうです。相撲の世界でも、学閥です。
私がAさんと初めてお会いしたのは、荻窪で経営していた時ですから、約10年以上前です。王者の風格がありました。
彼の後輩(仮にBさん)も紹介で来院されました。Bさんは、かなり鼻っ柱の強い人でしたが、「A先輩は、人間的にも素晴らしい人です!」と尊敬されていました。実はこのお二人、大学時代、国体・インターハイで何度も優勝・準優勝の成績を残し、アマチュア相撲界では、知らぬ者のない存在だったのです。・・思い出します。Aさんが、いよいよ部屋が決まり、これからプロとして頑張ります!と希望に満ちていたあの顔を。
Bさんは、豊富な実績と、ベンチプレスで180キロ上げるパワーを持ちながら、Aさんより先に引退しました。
このお二人を、不発にしてしまった一番の原因は、親方との不和だったようです。Aさんは引退される頃、部屋ではなく、別の場所で寝泊まりしていたのです。こうなっては、泥沼です。もはや覇気が失せ、ノイローゼのようでした。野球の世界なら、トレードがありますが、相撲界では、辞めるしかありません。人間関係・実戦含め、プロとアマチュアは違うんだ!と一括りにされれば、それまでですが、あまりにも惜しい逸材のお二人でした。
人が成長するのに、自己努力は足し算ですが、出会いは、掛け算です。出会い方によって、潰れもし、大化けもします。
荻窪時代、今も来院されている力士お二人と、先のお二人が偶然同じ日に予約されたことがあります。力士を連続4人施術をするのは、楽ではありませんでしたが、近況を笑いながら語りあっている姿を横目で見るのは、ほほえましいものでした。
今となっては、儚い思い出です。