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2016-07-15

モハメッド・アリ氏死去 後編

 写真(フォアマンをダウンさせたアリ)

写真(フォアマンをダウンさせたアリ)

象をも倒すパンチ!

当時のフォアマンのプレゼンです。

現代なら「あくまでも例えでしょ?!」と冷めた言葉がささやかれると思います。

当時は、誰もが本気にしたのです。「そんな、まさか?!」

と昔を馬鹿にするでしょう。しかし、どの相手選手も1~2ラウンドで痙攣してダウンさせ、暫定チャンピオンのフレイジャーのアゴにアッパーを見舞うと、ヘビー級の身体を宙に浮かせてしまったのです。世間では、若き怪物の出現に、怖れと賛辞を送りました。アリはフォアマンへの挑戦権を得ますが、空白の間に、ボクシング界は変わってしまっていたのです。

「アリに勝たせてやりたい。でも、相手がフォアマンでは無理だ!」

世間では皆が同じ思いでした。

試合は、アフリカのザイール(現在のコンゴ)で行われました。25歳の若き無敗の怪物に対し、アゴを割られ、ボクシングでは盛りを過ぎた32歳のアリが挑戦したのです。どの専門家も1~2ラウンドでケリがつく、勝敗率は9対1だと評しました。 さて、試合直前レフェリーが両選手にルール説明をしているときのこと。いつもフォアマンは、相手選手を睨みつけるため、みんな震え上がったというのに、アリはこう言い放ちました。

「おい、小僧!お前は俺の試合を見てボクシングを始めたんだろう!今その先生がボクシングを教えてやるぜ!」

フォアマンは、じっと睨んでいましたが、いつもより精彩を欠いていました。フォアマン陣営は、アリは必ずフットワークを使う作戦だと予想を立て、潰す戦略を練っていました。ところが、全く予想外にアリはロープを背負ったまま動かず、ひたすら防御していました。ここぞとばかり、フォアマンはラッシュをかけます。危ない!足を使え!誰もがアリに叫びましたが、スタイルを変えようとしません。実は、rope a dopeという作戦で、スタミナを消耗させ、わずかな隙を狙い反撃し、ダメージを蓄積させていく戦法でした。ただし、これはアリの天才的ディフェンスがあっての作戦でした。8ラウンド、バズーカ砲でなければ倒れないと思われた怪物も打ち疲れ、アリから2発のラストパンチをもらってダウンしました。世界は、奇跡のKOだ!と震撼しました。2番目の難関も見事にクリアし引退したアリは、イラク軍の人質になったアメリカ兵を救出するため、フセイン大統領と直談判する重責もこなしました。やがて、アリの3番目の難関が表れます。パーキンソン病に侵されたのです。蝶のように舞うアリの、羽をもがれた姿を見るのは痛々しいものでした。病を克服することはできませんでしたが、最後まで社会貢献し、黒人の地位向上に努めたアリは、最後の難関もクリアしたと言っても過言ではないでしょう。2005年、ホワイトハウスにて、最高の大統領自由勲章を授与されました。2016年6月没。

またひとつ、昭和の星が消えていきました。

をはり。

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