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ソフト整体 伝掌堂は、首・全身の不調を解消する自由が丘・奥沢エリアの完全プライベート・コンディショニングルームです。
2018-01-25

成功する強さとは? ~前編~

先だって、あるアクシデントがあり、憂慮した昔の知人が訪れてくれました。
知人なんて言ったら、失礼になります。

久しぶりにお会いしたその方とは、極真空手の初代世界チャンピオン、佐藤勝昭師範でした!(現・立川市に本部を置く、王道カラテ佐藤塾宗主)私の亡父の会社の元後輩でもありました。

治療院のドアを開けると、180センチを超える巨漢に驚くと共に、厳しさと優しさを、携えた懐かしいお顔に

「師範!お久しぶりです!」

という言葉が、咄嗟に口から出てきました。

おうおうと、師範は柔らかい物腰で、待合室の椅子にゆっくり腰掛けられました。
薄くなられた髪の毛以外、全盛期と変わらぬ印象を述べると、一時期体調を崩し、オペも受けられたことをこぼされました。

少し遅れて、車を駐車されてから奥様も来院。初めてお会いする奥様は、上品で綺麗な方でした。どうして、ゴッツイ師範(失礼!)にこんな素敵な方が連れ添いになられたのかなぁと不思議に思いました。お二人から温かいお言葉を頂き、勇気づけられました。

佐藤師範は、福島県の山合いの環境に生まれ、幼少の頃から背中に焚き木を背負い、傾斜のある山を登り降りして、自然足腰が鍛えられました。上京して柔道を始め、三段を取得。後、極真空手に転向し、三度の大会優勝。世界大会当事、外人含めた強豪を退け、見事初代世界チャンピオンとになりました。

こう書きますと、最初から強い人が勝つべくして勝った、当たり前の話しに聞こえるかもしれません。違うのです!佐藤師範には二つの致命的な弱点があったのです。

ひとつは、柔道を引退した原因の肩と膝の故障。特に、右膝の故障は酷く、右で蹴ると関節が外れてしまう程でした。師範は、左の蹴りが得意と言われていましたが、実際は、左でしか蹴ることができなかったのです。これだけの深い傷を抱えて、良く荒稽古に耐え、激しい試合に勝てたものです。

ふたつめの弱点!これは肩膝の故障を上回るものでした。
それは・・・

続く

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